ホテルルワンダと世界の警察アメリカ。


テルルワンダを観た。

観た感想は色々あるのだけど、映画の最初で混線したラジオから、「クリントン大統領はサラエボの現状に懸念を表明」と聞こえてくるのにびっくりした。最近、『戦争広告代理店』を読んだばかりだったから。

映画では、国連軍や西側諸国の軍隊が介入してくることを待ち望むシーンがある。でも結局介入は行われない。だからこの文は「同じように内戦状態のボスニアヘルツェゴビナにはクリントン大統領の指示でNATO軍が介入するのにね」という事を言いたいのかもしれない。でも実はボスニアヘルツェゴビナの内戦は「ボスニア、どこそれ?」という状態からアメリカ国民の支持を集めるためにめちゃくちゃPR活動をしている。(『戦争広告代理店』の受け売り。)

国益を無視しても、内戦が起きたから助けてあげようなんて国があると思わないほうがいい。(もともとルワンダの内戦ってベルギーが上下関係作ったからなんだから、何とかすべきという意見もあるかもしれないけど。)もし助けてくれたら何か裏があると思った方がいい。

日本も若干、内戦起きそうなのが怖い。生活が安定していれば起きないだろうけど。その時にはポールさんのように振る舞えるといいなと思うけど、どうだろう。

就活。

ただいま、絶賛、就活中。

半ば、テンプレのように聞かれる「会社に入ったら、どんなことがしたいか具体的に教えてください」という質問に対して、ちゃんと受け答えができるように考えていたら本気がいっぱいあるタイプの気の多い男の人になったような気分になった。

人事の方に会う前に、
ESにどんな事書いた、とか
この間の面接ではどんな事を言ったか、とか
どんな特徴があったのか、とか
の確認作業をしていると、何股もかけるような男の人もそれぞれの女の人に会う前にはこうやって復習するのかな、と思う。

にしても、なぜ男性視点なんだろう。なんとなく、ばれないように何股もかけるのは男性のイメージだからかな。女の人は堂々と2股かけてそう。あくまでもイメージですが。


「ジャッカルの日」を見てフランスの歴史について想いを はせてみた

映画「ジャッカルの日」を見ました。

あらすじはざっとこんな感じ。
アルジェリアの独立を認めた、ドゴール大統領を暗殺をたくらむOASがプロの殺し屋「ジャッカル」を雇う。ドゴール大統領の暗殺計画を知ったフランス警察、スコットランドヤードが「ジャッカル」を追いつめていく話。

すっごく面白かったのは、パスポートの申請書類と死亡証明所を紙でつき合わせて、調べる所。今だったらctrl+Fで一瞬なのに。

と、映画は映画ですごく面白かったので、おすすめです。
で本題の、映画を見て気になったのは、この2点。


まず、アルジェリア戦争とドゴール大統領について。

アルジェリア戦争について知ったのは、「シェルブールの雨傘」だったと気がします。戦争といえば第2次世界大戦という浅はかな中学生だった私は、シェルブールの雨傘で車の整備工場で働いている彼は、ドイツと戦いに行ったのだと思っていました。そして、当時フランスはあんなにすすんでいたのだなー、と。
何年かたって、そういった感想を言うと、あれは「アルジェリア戦争」でしょ?と言われたというのが一番最初。

次はパリに留学していた時。
寮に居たフランス人が、何かの時に「僕はPied-noirピエ・ノワール)系だから」と言ったので、それは何?って聞いたら教えてくれました。アルジェリアが植民地だった時代にアルジェリアに入植して、アルジェリア戦争が終わった時にフランスに引き上げてきた人の事だよ、と。
そしてアルジェリア戦争の悲劇というのは、フランス人もアルジェリア人(ベルベル人やアラブ系住民などの先住民)も2つに分かれてしまったことなんだよ、と。

つまり元からアルジェリアにいた人vsフランス人。
というわけではなく
反仏派のアルジェリア人vs親仏派のアルジェリア
独立を認めるべきという考えのフランス人vsアルジェリア支配による利益を優先するフランス人
という風になってしまった事だと。

そして、アルジェリアの独立がどうしても許せなかったフランス軍部の一部が、ドゴール大統領がアルジェリアの独立を認めたあとも、テロ活動を行って、アルジェリアで破壊工作を行ったり、ドゴール暗殺計画をたてたりしていたというわけです。

まぁ、ドゴール大統領のアルジェリア独立宣言は、とても唐突になされたし、その前に「フランスのアルジェリア」と発言したりしているので、期待が裏切られたように感じたのでしょう。
にしても、ドゴール大統領が、のらりくらりと受け答えをしながら、全権をにぎり、そしてアルジェリア独立を認めたというのは、すごいことです。
振り返って考えてみたら、アルジェリアはいずれ独立することになっただろうし、それが少しでも早くなされたことは良かったことだと思います。


次に、軍事パレードの日はいつ変わったのかということについて

ジャッカルの日」で行われている軍事パレードは解放記念日の8月25日です。解放というのは第2次世界大戦時に、ナチス・ドイツ軍に支配されていたパリを解放したということ。
(ちなみにこの時、臨時政府はアルジェリアのアルジェにおかれ、臨時政府の代表はドゴール将軍です。アルジェリアという国がどれだけフランスにとって大切だったかが分かりますし、アルジェリアに住んでいたフランス人がドゴール将軍に期待をかけた理由も分かる気がします。)

パリを解放した次の日(8月26日)に、まだ残っているるドイツ兵から銃弾が飛んできたりしながらも、シャンゼリゼ通りでパレードしたのが軍事パレードの始まりのようです。
以来、8月25日にはパリ解放を記念する式典が開かれているそうですが、現在は軍事パレード自体は7月14日の革命記念日に行われています。

7月14日に撮った写真。

まぁ、ドイツに配慮したのだろうな、とは思うのですが、一体どのタイミングで変わったのだろうとすごく気になっています。映画では、もちろんまだEUではないわけで、EU(EC ?)がきっかけでしょうかね。
(イタリアからフランスに入る時にパスポートチェックのシーンがある!しかもちょっとずつジャッカルに近づくためにも重要な手がかり。)
んー、ちょっと気になるので、調べてみたい所です。(でも、どんなソースにあたればいいのかしら?)


ということで、シャルル・ド・ゴール・エトワールとCDG空港の名前の元になった将軍について、思いのほか詳しくなったのでした。


映画より百倍面白いらしい、小説も読んでみたいです。

Maison Louis Careé

先週はアアルトの作った、ルイスカレ邸に行ってきました。一般公開は2005年からということなので、建築関係の人でも行ったことがない人が多いかも?

玄関入って、おじさんにお金を払って見に行こうとすると、止められる。??どうやら、自由にみることはできないようです。1時間毎にツアーがあるのでそれに参加しろ。次のツアーは17時からだ! とのこと。
ということで浮いた30分はぼーっと外を見て回りました。プールがあったり、それぞれの窓から庭が見られるようになっていたり、外からでもすごく楽しい家でした。(ツアーが終わった時には真っ暗だったので見ていて良かった。)

中はとにかくすごく丁寧に作られていました。本当に細部の細部までデザインされている。きらびやかではないけれど、良いなぁ、とため息がでる感じ。


あと、ガイドの人の話がすごーく面白かった。
カレさんは画商で、すごいお金持ちだったんだけど、腰を痛めていて階段の昇り降りがあまりできなかったんだ。だから、玄関からリビングに降りていく階段はすごく広くなっていてこう配も緩やか、これはベルサイユ宮殿と同じだよ。このてすりを押さえてこう昇ったんだよ。
ここに天窓があって昼間は光が入るんだけど、夜はこうやって明るくするんだよ。この照明はテーブルと絵と両方照らすためなんだ。
これはアアルトの奥さんがデザインしたグリルだよ。機能はよくわかんない。多分ないと思う。
この鏡すごく低いと思わない?ムッシューカレは身長が158cmしかなかった。ちょうど、君サイズだね。(その時の私は、身長155+ヒールでした。)
ここに立ってて。そう。そこ。いい動いちゃダメだよ。じゃじゃーん。(とクローゼットの仕掛けをみせてくれたり。)

最初に写真はとってもいいけど、フラッシュはダメだよ。日本人だったら沢山写真撮るよね?みたいに言われて、もちろん!と答えていたんだけど、解説がおもしろすぎてあんまり写真撮ってなかった。そしたら、「ねぇ、写真撮らなくていいの?」ってわざわざ聞いてくれたり。(話が面白くて撮る暇なかったって言ったら、もう一回ずつみせてくれました。)





(ISOの設定が良くなくて、いい写真があまり撮れなかった。おじさんごめんね。)


ほんとうに贅沢な空間ってこういうものだなぁと思いました。まだ行かれてない方はぜひ!
URLはこちら。Maison Louis Carré

おじさんに近くでご飯を食べれるとこがないか聞いてMontfort-l'Amauryという街(村?)を教えてもらう。カレ邸からは6km弱なので車で行くなら全然近所。この街もすごく良かった。なんかちょっと観光地っぽいけど観光観光していなくて、、という感じ。今調べてみたら、ラヴェルが晩年を過ごしたところみたいです。ここ数年ふとラヴェルに接するので、これもだー! とすごく嬉ししくなりつつ、「ボレロ」を聞いています。フランスに来る前に先輩にクロード・ルルーシュ監督の「愛と哀しみのボレロ」を借りたのを思い出しました。

ご飯を食べたのはこんなお店。おいしかったです。


すごーく充実した日でした。私はパリから車で行ったけれど、電車とバスを使っていく方法もあるみたいなので、ぜひ訪れてみてください。パリの11月だと18時でもうこんなに真っ暗!


変にフランス語が日本に入ってきてるせいで、大いなる誤解を生むところだった。

こないだ、projetの敷地見学にグループの子ローレンと一緒に歩いてたときのこと。

L:ねぇねぇmioも制服着てたのー?
M:そうだよー。
L:あれ可愛いよねー。どんなの着てたの??
M:セーラー服だよ。(ほんとはここですごい説明している)

ーひきつるローレンの顔。。ー

??どうしたの??
L:あれって、キュロットないんでしょ?
M:キュロットじゃなくってスカートだよ?
L:だからキュロットはくの?はかないの?
M:いや、はかないでしょ。スカートはくんだから。

ーさらにひきつるローレンの顔ー
L:じゃあ今も?
M:(ジーパンだった)だってズボンだよ?(と、話しながらなんかおかしいということに気づき始めた、、)ねぇちょっと聞きたいんだけど、キュロットってキュロットスカートのことだよね?
L:ちがうわ、スリップのことよ!
M:(スリップはワンピースの下に着るやつだなぁ。キュロットとは大分違う。けどスリップはジーパンでは絶対はかない。これもなんか違うかも。)ちなみに英語では?
L:アンダーウェア!ブラジャーとパンティよ!

?!?!?!?!
はきます。はきます。はきます。今もはいてます!
たぶんセーラー服の女の子は全員はいています。見せパンとか謎なものをはいている子もいるかもしれませんが、たいていは短パンとかはいて見えないようにもしてるはず!!あー、よかった。ちゃんと確認して。下着つけてない子だと思われるところだった。はぁー。にしても日本でキュロットって言ったらスカートのことだし、スリップっていうのはすごく限定された下着の種類のことだよ。でもそもそもなんでセーラー服=下着つけてない、だったんだろう。まぁ「バベル」みたいな映画あるからかなぁ。。
??でもむしろ、下着つけないのはフランス人なんじゃ?と思って聞いてみたら、

L:つけてる!!!日本人じゃないんだから。
M:上も?
L;上も!
M:そうかー。日本人的には、フランス人はノーパン、ノーブラってイメージあるよ?
L:なんで!偏見だわ。


いやいや、そもそも最初に偏見をもってたのはローレンさんですよ??ローレンも気づいたらしく、、
L:とにかくたいていの人ははいてる。
M:日本でもたいていの人ははいてる。
という結論に達しました。でもホントにきちんと確認してよかった。これから1学期一緒にすごす子に下着つけない主義だと思われ、しかも誤った情報を与えてしまうところだった。

背景としての建築

最近、車の広告とかの背景として使われている建築あてにはまってます。建築が全部入ってなかったりすると、分かりそうで分かんなくて意外とおもしろいんですよね。
最近身近な建築が背景になってる写真がいっぱいあって、テンション上がってます!


大都市軸のセルジ・ポントワースだと思います。これはこないだ見た「L'ami de mon amie」の舞台でした。



エラスムス橋!先月行ったばっかり。



これはきっとカラトラバ.

などなど。


で、今すごーく気になっているのが、このカニエ・ウェストの「Runaway」に出てくる建築!絶対すごくこだわって作られてる建築なんだけど(だって窓のところのディティールすごい!)

でも何だか分かりません。だれか分かったら教えてください。(家だけじゃなくてみんなで食事してるサロンの建築もなんだか気になる。)というかこのMusic Video格好良すぎだと思う。最近ネット環境があるとついつい見てしまっています。


(30分以上あるけれど、見始めたら止められないと思うので時間のある時に見ることをオススメします。)