「ジャッカルの日」を見てフランスの歴史について想いを はせてみた
映画「ジャッカルの日」を見ました。
あらすじはざっとこんな感じ。
アルジェリアの独立を認めた、ドゴール大統領を暗殺をたくらむOASがプロの殺し屋「ジャッカル」を雇う。ドゴール大統領の暗殺計画を知ったフランス警察、スコットランドヤードが「ジャッカル」を追いつめていく話。
すっごく面白かったのは、パスポートの申請書類と死亡証明所を紙でつき合わせて、調べる所。今だったらctrl+Fで一瞬なのに。
と、映画は映画ですごく面白かったので、おすすめです。
で本題の、映画を見て気になったのは、この2点。
まず、アルジェリア戦争とドゴール大統領について。
アルジェリア戦争について知ったのは、「シェルブールの雨傘」だったと気がします。戦争といえば第2次世界大戦という浅はかな中学生だった私は、シェルブールの雨傘で車の整備工場で働いている彼は、ドイツと戦いに行ったのだと思っていました。そして、当時フランスはあんなにすすんでいたのだなー、と。
何年かたって、そういった感想を言うと、あれは「アルジェリア戦争」でしょ?と言われたというのが一番最初。
次はパリに留学していた時。
寮に居たフランス人が、何かの時に「僕はPied-noir(ピエ・ノワール)系だから」と言ったので、それは何?って聞いたら教えてくれました。アルジェリアが植民地だった時代にアルジェリアに入植して、アルジェリア戦争が終わった時にフランスに引き上げてきた人の事だよ、と。
そしてアルジェリア戦争の悲劇というのは、フランス人もアルジェリア人(ベルベル人やアラブ系住民などの先住民)も2つに分かれてしまったことなんだよ、と。
つまり元からアルジェリアにいた人vsフランス人。
というわけではなく
反仏派のアルジェリア人vs親仏派のアルジェリア人
独立を認めるべきという考えのフランス人vsアルジェリア支配による利益を優先するフランス人
という風になってしまった事だと。
そして、アルジェリアの独立がどうしても許せなかったフランス軍部の一部が、ドゴール大統領がアルジェリアの独立を認めたあとも、テロ活動を行って、アルジェリアで破壊工作を行ったり、ドゴール暗殺計画をたてたりしていたというわけです。
まぁ、ドゴール大統領のアルジェリア独立宣言は、とても唐突になされたし、その前に「フランスのアルジェリア」と発言したりしているので、期待が裏切られたように感じたのでしょう。
にしても、ドゴール大統領が、のらりくらりと受け答えをしながら、全権をにぎり、そしてアルジェリア独立を認めたというのは、すごいことです。
振り返って考えてみたら、アルジェリアはいずれ独立することになっただろうし、それが少しでも早くなされたことは良かったことだと思います。
次に、軍事パレードの日はいつ変わったのかということについて
「ジャッカルの日」で行われている軍事パレードは解放記念日の8月25日です。解放というのは第2次世界大戦時に、ナチス・ドイツ軍に支配されていたパリを解放したということ。
(ちなみにこの時、臨時政府はアルジェリアのアルジェにおかれ、臨時政府の代表はドゴール将軍です。アルジェリアという国がどれだけフランスにとって大切だったかが分かりますし、アルジェリアに住んでいたフランス人がドゴール将軍に期待をかけた理由も分かる気がします。)
パリを解放した次の日(8月26日)に、まだ残っているるドイツ兵から銃弾が飛んできたりしながらも、シャンゼリゼ通りでパレードしたのが軍事パレードの始まりのようです。
以来、8月25日にはパリ解放を記念する式典が開かれているそうですが、現在は軍事パレード自体は7月14日の革命記念日に行われています。
7月14日に撮った写真。
まぁ、ドイツに配慮したのだろうな、とは思うのですが、一体どのタイミングで変わったのだろうとすごく気になっています。映画では、もちろんまだEUではないわけで、EU(EC ?)がきっかけでしょうかね。
(イタリアからフランスに入る時にパスポートチェックのシーンがある!しかもちょっとずつジャッカルに近づくためにも重要な手がかり。)
んー、ちょっと気になるので、調べてみたい所です。(でも、どんなソースにあたればいいのかしら?)
ということで、シャルル・ド・ゴール・エトワールとCDG空港の名前の元になった将軍について、思いのほか詳しくなったのでした。
映画より百倍面白いらしい、小説も読んでみたいです。